アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ

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夫婦の愛のかたち(7):工藤公康さんを立ち直らせた妻の愛

おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

今朝は7:00の新幹線に乗って大阪に出張するので、早めの更新です。

さて、「夫婦の愛のかたち」シリーズの7回目です。

西武、ダイエー、巨人、横浜4球団(西武には2回所属)での29年間の通算成績が224勝142敗の工藤公康さん、現在は野球解説者としてわかりやすい解説をしてくれています。

この工藤公康さん、西武時代の成績は次のとおりでした。

1986年 11勝5敗

1987年 15勝4敗

と好成績で、日本シリーズでのMVPを2度獲得。

この当時の自らを「てんぐ」と称する工藤さんは、ネオン街に繰り出し、ボトル1本以上を空けての朝帰りはざら。練習で汗をかきアルコールを抜く日々でした。

こんな生活がたたって1988年は10勝10敗だったものの、1989年は4勝8敗に終わりました。
肝臓の痛みがひどく、医者からは「このままだと死ぬよ」とまで言われました。

工藤さんは、「本当に選手生命が終わってしまう」との危機感を抱き、ビール、ブランディーなどの家中の酒を捨てて家にこもったものの、体調はすぐに戻りませんでした。

そんな工藤さんが雅子さんと結婚しました。1990年のことでした。

「来年ダメならクビになるだろう。田舎で畑でも耕しながら、子どもたちに野球を教えるようになるかもしれない」

プロポーズで確かにそう伝えた工藤さんに、雅子さんは答えました。

「いいわよ。野球選手の工藤公康と結婚するんじゃないから」

そして

「もし野球をやめることになっても、今、やれるだけの事を2人でやってみない?」

と提案しました。

雅子さんは夫の飲み友だちの誘惑を絶ち、肝臓に良いとされる食材を含め食事を一から見直してくれました。

工藤さんは、スポーツ医学に基づいた指導を受け、1991年には、16勝3敗と復活を果たします。

工藤さんは、日本経済新聞の8月27日の「スポートピア」を次の言葉で結んでいます。

「若いころのどん底がなかったら、弱い自分を正面から向き合えただろうか。

妻と子どもたちがいなければ、これほど長くプレーできなかったと断言できる。

29年間のプロ野球人生は悩みと苦しみの連続だったが、私にはそれが『財産』だ。

今でも学び、知り、行動することの大切さは忘れていない」


工藤公康さんの栄光の陰に妻の愛があり、それが工藤さんの長寿選手生命の源になったことを知り、感銘を受けました。

◆今までに「夫婦の愛のかたち」シリーズを次のとおり書いています。

6月28日付けブログ 夫婦の愛のかたち(1):愛の定義(1)

6月30日付けブログ 夫婦の愛のかたち(2):愛の定義(2)

7月1日付けブログ  夫婦の愛のかたち(3):協力する夫婦

7月3日付けブログ  夫婦の愛のかたち(4):愛の定義(3)

7月8日付けブログ  夫婦の愛のかたち(5): 中間的なまとめ

8月25日付けブログ 夫婦の愛のかたち(5): 愛妻を喪った人からの手紙


<お目休めコーナー> カミさん撮影の日光東照宮(1)

 

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