おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
カミさんのコロナ罹患に伴う濃厚接触者生活は7日目になりました。
「ADHD(注意欠如・多動症)のなれの果ては気配り上手?」の2回目です。
「気配り」とは文字通り「気を配ること」です。
このことは場の要請でもある「気配」を感じる、察することでもあり、自分の生命の根源的なエネルギーである「氣」を配り、何かとアクセスすることでもあります。
今回はADHD(注意欠如・多動症)の強みであるアクセス力について書きます。
特にこのアクセス力は加齢と共に高まることとして、2021年9月29日の日本経済新聞の夕刊の「あすへの話題」で精神科医のきたやまおさむ氏が「自分の失敗談が嫌いでない」で概要次のようなことを書いていたことを思い出します。
関心のあるところにだけ神経が集中し、他では注意散漫になって鍵や財布をよくなくすことで親しい医師の見立てでは、軽い「注意欠如多動症」だと言われているきたやま氏には、それを裏付けるのが下記の特性を有していることを書いていました。
(1)幼い頃は落ち着きがなく、確かに多動傾向もあった。
(2)大人になりこれが出せなくなると、今度は外に出ない分だけ頭の中がよく動くようになり、連想や思いつきが豊かになったようだ。
(3)多動が心の多動になることで、同時にいっぱいのアイデアが頭に浮かんでくる。
この(2)と(3)こそ私が使った「アクセス力」そのものです。
きたやま氏は、このことをロマンチックに「脳内旅行」と呼び、このことで下記の恩恵を受けているようです。
・コロナ禍で現実の旅ができなくとも、心の世界をうろうろ、ぶらぶらと旅ができる。
・注意散漫で心に次々とアイデアを浮かばせながら、持ち前の過剰な集中力で興味深いところをまとめあげようとする。
・これを練りあげると、結果的に完成度の高いものができあがる。
力を抜いた注意散漫と力を入れる過集中の併用もできるようになったとも書いています。
多動傾向の「氣」を配り、何かとアクセスする強みをADHD(注意欠如・多動症)の人が備えていることになるようです。
ここで、あるヒューマン・ギルドの会員のYさんの話を思い出します。
Yさんは、中学生の男の子の忘れ物と多動に手を焼き私に相談をしてきました。
私が小学5年生の時は机の上を飛び回っていたことを話し、同じ匂いがすることについて細かく話しました。
それ以来Yさんは、その子の注意欠陥・多動性・衝動性による行動に直面するたびに心の中で「としのりちゃん」と呼び、やがては私のようになることをイメージし続けました。
その子はやがて高校に入ると、バレーボールの一流選手になったのです。
また、2013年3月12日付けブログ 元不登校児が医学部に合格 に書いているK君ももとはと言えば、元ADHD(注意欠如・多動症)の典型的な子どもでした。
今では医師として大活躍です。
◎ADHD(注意欠如・多動症)であったことはアクセス力という強みを発揮できるのです。
<お目休めコーナー> 12月の花(4)
