アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ

アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。

吉田松陰の里を走る(2)

世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「吉田松陰の里を走る(1)」 を書いてから10日以上経ってしました。その2を書きます。

吉田松陰は、1854年(嘉永7年)同じ長州藩足軽金子重輔(重之助)と共に下田沖の米艦に潜入、海外密航を図りますが、失敗に終わります。
捕らえられた2人は、長州に送られ、松陰が野山獄、金子重輔は、士分でないものを入れる岩倉獄に投じられます。


野山獄跡


岩倉獄跡(左下が私が乗っていたレンタル・バイシクル)

重輔は、江戸を発つときから重い病気にかかっていて、翌年の1月には25年の生涯を閉じてしまいます。

松陰は、悲しみにばかりふけってはいませんでした。自分の入った野山獄にいた11人の囚人の中から希望者を集めて「孟子」の講義を始めます。それだけでなく、同じ囚人仲間の俳諧に通じる者を中心として「獄中俳諧」を始めます。
このことにより野山獄は、いきいきとした学校の様相に変化します。

1855年(安政2年)12月、野山獄を仮出獄した松陰は、叔父の玉木文之進(松陰の幼少時の家庭教師役)の私塾、松下村塾を譲り受け、藩士の子弟しか行けない藩校 明倫塾とは違って、向学心に燃える足軽・中間(ちゅうげん)ばかりでなく、商人や僧侶の子どもたちをにも門戸を開放して無料で塾を開きます。
これが後世に残る吉田松陰による松下村塾です。


松陰が幽閉中寝起きしていた部屋、正味3畳ほど)

松陰は、どこにいても教師、ただ、インストラクターではなく、コーディネーター型の教師だったのです。

(注)吉田松陰に関するもっともポピュラーな本は、司馬遼太郎の『世に棲む日々』です。私は、この文章を書くにあたって『吉田松陰』(古川薫、PHP文庫、絶版)を参考にしました。

<今日・明日の勇気の伝道>

2月14日(土)は、名古屋でのアドラー心理学ベーシック・コースの第1日目です。
講座開始前に名古屋でカウンセリングが1件あるため、早い新幹線でこれから名古屋に向かいます。