おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(11月4日)は10:00~17:00にヒューマン・ギルドで 秘伝気功師養成講座 を行い、講座が終わってから新幹線で新潟に向かい、今は、五泉市のホテルにいます。
さて、私がサラリーマンの頃の思い出です。
20年前の1993年4月1日発行のニュースレターの巻頭言からの引用です。
1976年10月のことでした。28歳の私は、入社6年半営業部門に勤務した後総合企画室という、その会社にできたての部門に課長として抜擢されました。ボスは経理部長をも兼任するMさんでした。
Mさんは早速、同僚のNさんと私を個室に呼び今後の総合企画室のあり方についてこう話しました。
「総合企画室のスタッフは、プランナーである前にアーティストでありたい」
さらに次のように続けたのです。
「アーティスト・リバティという言葉を君達は知っているかい?これはアーティストには豊富な自由裁量の余地があるということなんだ。たとえば、ある絵画愛好家が絵かきに仕事を頼むとしよう。その場合、何号程度の風景画をいつまでにという指示はあるかもしれないが、どこの場所の風景で、どんな色彩で、という具体的なことについては、絵かきが自由に筆をふるえるわけだ。
プランナーも同じではないだろうか? 制約の多くを自分で作るから自分を縛るわけで、ある指示が与えられたら、その中で自分にどんなことができるのか考えよう。大事なことは『何ができないか』から発想するのではなく、『何ができるか』からスタートすることさ」
Mさんは、社内の権力者であったこともありましたが、以来私はかなり自由にビジネスマン生活を全うさせていただきました。
アーティスト・リバティは、音楽の世界でも多くの逸話があります。その一つをご紹介しましょう。
ヨハン・セバスチャン・バッハは、「ゴールドベルク変奏曲」という作品を残しております。聞いているうちに眠くなる不思議な曲で、不眠症の方のための隠れたベストセラーでもあります。私もふとんの中で聞いていると、曲が終わらないうちにグーグー寝てしまうことが何度かありました。
依頼主は最初ドレスデン、後にベルリン駐在となったロシアの大使であったカイザーリンク伯爵。不眠症の気があったらしい。伯爵のおかかえチェンバロ奏者のゴールドベルクは、伯爵が眠りにつくまで、いつも隣の部屋で何かしらの曲を弾いて伯爵の不眠症を慰めなければなりませんでした。
ある時、カイザーリンク伯爵は、かねてから賛美していたバッハに自分の眠られぬ夜の慰めとなるデリケートで愛らしい作品を作曲するよう依頼しました。
これからがバッハのアーティスト・リバティの発揮し甲斐のある分野です。バッハは依頼に添えるような作品は変奏曲が最も望ましいと発想しました。もともとバッハは、変奏曲は基本的な和声構造を何回も反復するため、積極的な気持ちを持っていませんでした。ところが、この依頼をチャレンジに変えたのです。そして、不朽の名作を書き上げ、カイザーリンク伯爵を満足させました。
伯爵は寝つかれない夜にはいつもゴールドベルクに次のように頼みました。
「ゴールドベルク君、私の変奏曲をやってくれたまえ」

(ヨハン・セバスチァン・バッハ、1685~1750)
<お目休めコーナー> 11月の花(5)
