おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
「蜷川幸雄は、勇気くじきの演出家だったか?:山田さんのご質問に」シリーズの第5回目です。
いよいよ蜷川のライフスタイルに迫ります。
今までのシリーズは、以下のとおりです。
第1回目 5月20日
第2回目 5月21日
第3回目 5月23日
第4回目 5月25日
第4回目の最後に私は「私は蜷川幸雄をいろいろ調べた末、彼のパワハラまがいの振る舞いの源流を子ども時代からの劣等感と、それによって培われたライフスタイルにあることを突き止めました」と書きました。
今回は、その謎解きです。
私は蜷川の早期回想に相当するような記事を見つけました。
次のようです。
小学校のとき、こんなことがあった。
給食の調理につかう薪(まき)を役所から大八車に積んで運ぶのが日課だったが、なぜか車輪の下に足を突っ込みたくなる。
ある日誘惑に負け、実行した。
爪が紫色にふくれあがったが、黙って我慢し、学校に行った。
「深層心理的なコンプレックスなのかどうかわからない。ただ、ぼくにはどうも自己処罰の衝動のようなものがある」
あえて自分を引き裂かれるような危地においこむ。
40代から50代にかけての壮年期、わざと徹夜して意識をもうろうとさせ、アイデアがひらめくのを待った。
この自己破壊衝動は通常の仕事についた場合、手ひどい失敗を招くものかもしれない。
が、役者やスタッフの闘争心に火をつける演出という天職がこの衝動によって花開いた。
怒りを創造のバネとした。
*日経電子版 『「理解されない」演劇の闘士、蜷川幸雄3つの謎 』(編集委員 内田洋一 2016/5/16)
アドラー・カウンセラー養成講座 を終えて関心のある方は、以上から「自己概念」「世界像」「自己理想」をまとめることでライフスタイル分析をしてみるのもいいのですが、一般に通じやすい表現を用いると、蜷川の「マゾヒズム」が前半の文章で浮き彫りになります。
この時は、相手役が他者でなく自分自身であることにご注目ください。
爪が紫色にふくれあがるほどの自己処罰に興奮を感じている蜷川少年がいたのです。
この傾向は40代から50代にかけての壮年期でも変わらず、自己破壊衝動をもとに、あえて自分を引き裂かれるような危地においこむのです。
その蜷川は他者に対して役者やスタッフの闘争心に火をつける演出という天職がこの衝動によって花開き、怒りを創造のバネとしたことは、蜷川の自己処罰・自己破壊の衝動に基づく「マゾヒズム」が他者に対する「サディズム」へと転換したことを表します。
このことを理解しないで、俳優を「バカ!」「マヌケ!」と激しく怒鳴りまくる、灰皿を投げつけるという行動だけにしか着目しないでいると、蜷川の深層(あるいはライフスタイル)を理解できないままになってしまいます。
もう1つ注目しておきたいことは、蜷川の自分に対する「マゾヒズム」、他者に対する「サディズム」は、彼の劣等感によって強化されていることです。
蜷川は開成高校から東京藝術大学を受験したのですが、不合格に終わり、浪人することもなく役者の道に入ります。
しかし、役者としては目が出なかったことが「Asagei plus(Posted on 2016年5月13日 2:20 PM)」で明らかです。
役者としては目が出なかった演出家・蜷川幸雄
今でこそ誰もが知っている演出家だが、もともと役者を目指していたことはあまり知られていない。
67年には俳優の石橋蓮司や故・蟹江敬三らと小劇団を作り、69年からの約10年間は役者と演出家という二足のワラジを履いて活動していた。
役者を辞めて演出家1本に絞ったのは、女優の故・太地喜和子からダメ出しをされたから。
当時の蜷川がテレビドラマ「水戸黄門」(TBS系)で公家を演じているのを見て、太地が「あんなヘタな演技を見てしまったら、演出家としてのダメ出しが聞けなくなる。頼むから役者は辞めてちょうだい」と進言したのだ。
「蜷川演出は厳しいことで有名です。だから心が折れてしまう役者もたくさんいる。そんな役者には、92年に公開された映画『きらきらひかる』で、主演の薬師丸ひろ子が演じた翻訳家の担当編集者として出演している蜷川さんを見てみろ、と勧めます。すると、大抵の役者は演出家として優れていても役者としてはそうでもない蜷川さんを見て安心して、折れた心が再生するんです」(演劇関係者)
約10年間は役者と演出家という二足のワラジを履いて活動していた蜷川は、太地喜和子からダメ出しをされたことがキッカケになって、その後は自らダメ出しの演出家になったのです。


<お目休めコーナー>5月の花(26)
